2008年5月8日

河野二郎さん

私の感動は鹿庭君の「演奏家のいない演奏会」にきませんか?というお誘いからでした。鹿庭君は私の大学の後輩にあたり彼が高松へ帰省して以来のお付き合いになります。
鹿庭君はかなりの音楽通、しかも彼自身ドラムをおやりになり、その腕前はプロ並みで彼の主催する音楽会には何度となく参加させていただきました。
いつも彼の性格そのものの様なやさしい音楽構成で、何よりも彼のやさしいドラムの響きにいつもリラックスした心と体で音楽を体感させていただいております。
私は音楽会もそうですが、人様のお誘いには出来る限り乗るようにし、何の考えも持たずに参加するようにしております。
それはどんな事で感動するか判らないから、出来る限り感動を自分自身が自然体で受け止めたいという願望があるからです。
そしてその音楽会の感動は私の想像をはるかに超えたものになりました。私が会場に行ったときには既に満席状態。場内は薄暗く、食事もできるラウンジで、気軽に音楽を聞くには程よい会場でした。
私はステージを背にする格好でボックスに座りドリンクを注文した後、鹿庭君の司会と音楽を聞きながら周りの雰囲気に合わせていつもよりスローペースで飲んでおりました。
すると私の耳に心地よいドラムの音がはいってきました。その時直感的に「あっ」鹿庭君が叩いていると思い中腰気味にステージを見ると、鹿庭君は前手を合わせそこに立っています。私の耳に入ってきたさっきのドラムの音は間違いなくライブの音でした。
しばらく関心をもって聞いていると、左からピアノ、右からドラム、中央からベースの音、どれもが臨場感あふれるライブの音です。あっこれか!これを鹿庭君が「演奏家のいない演奏会」って言ったんだとその時初めて理解できました。もう一度ステージを観察すると何やら筒状のものが一台あるだけです。私はやがて鹿庭君の品の良い司会とアーバンな音楽に身も心も委ねるようになっておりました。
その心地よさは私の中で憶えのない体感でした。大げさな言い方かもしれませんが、それは自分があたかも母のお腹の中にあたたかく包み込まれた胎児のようでした。
そして鹿庭君がエンディングのあいさつをした時、私は思わず立ち上がり「グレイト!」「サンクスアロット!」と叫び人目をはばからず号泣してしまいました。この感動は暫く時間が経った今でも同じです。
ありがとう鹿庭君、ありがとうスピーカーさん。
ところが私の感動はまだ続くのです。この音楽会から暫く経って私がほろ酔い加減で我が家へ帰るとグランドピアノの上にこの間の音楽会にあったのと同じスピーカーがあるではありませんか!?もうどんだけって感じです。
実は私の家にもう一人私と同じ感動を味わった家内がいたのであります。